展示室解説より

レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖手稿

 イタリア・トスカ−ナ地方のヴィンチ村はフィレンツェから40キロメ−トルほど離れた所です。この村でレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)は1452年4月15日に生まれました。父はセル・ピエロ、母はカテリ−ナですが、正式な結婚をしておりませんでした。つまりレオナルドは私生児として生まれたのです。両親はレオナルドの出生後、それぞれ結婚をしたため、レオナルドは80歳の祖父の手で育てられました。父は公証人でありましたが、庶子であるレオナルドは父の跡をつぐことは出来ず、若年時にフィレンツェの芸術家ベロッキオの工房に弟子として出されました。14、5歳の頃といわれております。4、5年の修業期間を経て、20歳で、フィレンツェの美術家組合の一員として登録され、独立しました。以後レオナルドはフィレンツェやミラノなどで仕事をし、晩年の1516年の秋、フランスのフランソワ一世の招きで、アンボワ−ズ(パリの南西にあるト−ル市の郊外)に赴きました。ここではシャンボ−ル宮殿の設計の仕事をしたと伝えられています。1519年5月2日、アンボワ−ズのクル−宮殿で没しました。

 彼が絵画、建築、工学、兵学など多くの分野で、万能の天才振りを発揮したことは広く知られております。中でもパリのル−ブル美術館で展示されている名画「モナ・リザ」、「岩窟の聖母」やミラノのサンタ・マリア・デルレ・グラツィエ寺院に所蔵されている「最後の晩餐」、ロンドンのナショナル・ギャラリ−の特別室「アンナと聖母子」などは大変有名です。このような絵画のほかに、レオナルドはおびただしい数の自筆原稿や図譜を遺しました。これらは一般に手稿(manuscripts)と呼ばれております。研究者によって大別されて、「アトランティコ手稿」(ミラノ・アンブロ−ジオ図書館所蔵)、「アランデル手稿」(マドリッド国立図書館)、「鳥の飛翔に関する手稿」(トリノ王立図書館)などの9種類が知られております。
 その中の1つが解剖手稿で、現在、英国のウィンザ−城王室図書館に所蔵されております。つまりエリザベス女王の所有となっております。この手稿はレオナルドの死後、紆余曲折を経て、最終的に英国王室の所有となりました。
 この解剖手稿は201枚の解剖図の紙葉からなっております。ウシやクマなどヒト以外の動物の図も含まれています。これまでの研究によって、レオナルドは1489年から1510年頃にかけて、人体解剖を行いましたが、その数は少なくとも各年代の男女30数体にのぼったと言われております。そして彼は"考える"ため、"思索"のために、これらのおびただしい手稿を描いたとも言われております。彼は鏡文字(鏡に写すと普通に見える)で説明文や注を書いていますが、なぜ鏡文字を使ったのかはいまだ大きな謎です。

 古来、画家の多くは、芸術上の必要性から体表の観察を行いましたが、ルネサンス期の画家は人体解剖も行いました。しかしそれはあくまでも芸術上の参考知識をえることが目的でありました。レオナルドはそのような立場を離れて、人体内部へ深く探求のメスを入れた異例な芸術家でありました。

 彼と人体解剖の結びつきは一つには、友人であったパヴィア大学の解剖学教授マルカントニオ・デルラ・トッレ(1481〜1511)との解剖学書の共同執筆であったともいわれておりますが、この計画は実現しませんでした。レオナルドは実際に、パヴィア大学に出かけて、解剖を見学したといわれております。1510年から翌1511年にかけての頃と言われております。もう一つの結びつきはフィレンツェのサンタ・マリア・ノ−ヴァ病院である老人の死に立ち会ったことでした。余りにも静かな死でありました。「老人シリ−ズ」という手稿には次のように記されております。「そうして彼は、フィレンツェのサンタ・マリア・ノ−ヴァ病院のとあるベッドの上に坐ったまま、身動きもせず、何一つ不慮の兆しも示さずにこの世を了えたのである。−かくも甘美な死の原因が知りたくて、私は彼の死体を解剖してみた。そこで発見したことは、心臓を養う血液(静脈血)と動脈(動脈血)が欠乏したための衰弱であって、それより下の部位は乾燥して、消耗し萎びていたということである。」

 レオナルドによる人体解剖の記録は、当時のレベルをはるかに超えたものであることは、ケタムによる同時代の最も秀れた解剖図と比較してみれば直ちに理解できると思います。またある部分では半世紀後の1543年に出版され、近世、近代医学の出発点となったアンドレアス・ヴェザリウスの解剖図譜に比肩出来ると思われます。
 1980年の初めにレオナルドの解剖手稿の国際復刻版(英語、イタリア語、日本語)が計画され、日本語版は1982年に岩波書店が350部の限定版として出版しました。限定版の上、非常に高価であったため、大学医学部の図書館や公共の図書館ではこの本を購入することは出来ず、このため医学生を含めて一般の人々が観る機会はありませんでした。
 ここに展示しておりますレオナルド解剖手稿を通じて、「人間の生と死」、そして「宇宙の生と死」など目に見えざるものを描こうとしたといわれる天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチの心の一端に触れていただきたいと思います。

 最後に若い学生諸君に次のようなダ・ヴィンチの言葉を贈り、一層の奮起を期待いたします。「もの悲しいのは、師を凌ぐことのない弟子のことである。」